哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

東浩紀『存在論的、郵便的』新潮社 ちょっとメモ

東浩紀存在論的、郵便的』新潮社 ちょっとメモ。

ヘーゲルフッサール名前も精神も一緒に相続される一つのものが相続される

キルケゴール精神は相続されない名前だけが相続される、ただし精神がない、という否定性としてのみ(たぶんこれが否定神学

デリダ名前だけが相続される名前は容器(コーラ)様々な場所で表れ、その時々の顔を見せる統一的な意味はない(あるように見えながら)

p66あたりまで読んだ

傷つきと成長

傷つくことができるようになる
ということって、あるのかなー、と思った。

傷つくようになる、というのが、一種の「成長」である場合があるのかなー、って。


傷つかない、というのが、心を閉じる、ということによるとすれば、
傷つく、というのは、心を開いたからこそ可能になる。

心を開く、というのが一種の「成長」だとすれば、傷つくようになる、というのも一種の「成長」である。

……

心を開いて、自分という柔らかい何かを外側にさらすこと。

……

傷つく。
痛い。
つらい。
苦しい。

そう感じることができるようになるのは、自分が生きること、つまり、自分が、他者の中で、世界の中で生きること、を始めたからなのかもしれない。

他者の中で、世界の中で、心を開いて生きること。傷つくことがありうる生き方。それを始めたのかもしれない。

他者に触れず、世界に触れず、一人でいれば傷つかない。

一人でいることをやめたら傷つくようになる。

……

傷つくことは苦しいことだ。
傷つくことから逃げたいと思うのは当たり前のことだ。

だから、心を閉ざしたいのは、当たり前だ。

傷つくことを受け入れるには、きっと、頼れる他人が必要だ。
一人というのはつらいものだ。
一人で傷つくというのはつらいものだ。

一人で傷つくことのできる人はいない。

……
……
……

この記事を書いた主な動機は、僕が最近自己否定をしてしまう経験をして、傷ついて苦しいと感じることがあったので、その経験に肯定的価値(=傷つくことができるのは「成長」したから)を付与することによって傷つきの苦しみを少しでも減らしたい、というところにあると思う。

その動機で最初の部分を書き、それ以降は、最初の部分を書いたことに伴って思い浮かんだことを書いた。

権力構造、子供扱い⑤

健康な人が健康であること、あるいは、健康になれる状態の人がどんどん健康になっていくこと、しかないんじゃないか、と思った。

……

権力関係がある、
つまり、上の人と下の人がいる。

その権力関係が要因となって、そこにいる人が苦しんでいるとする。

そういう場合、上の人が非難される。
振る舞いを改めろ、と上の人が言われる。
あるいは上の人が良心的な人ならば、自ら反省して振る舞いを改めようとする。


でも、

上にいるからといって、人間ができているとは限らない。
その人は、自分の振る舞いを改められるほどには人間ができていないかもしれない。

同様に、下にいるからといって人間ができていないとは限らない。

……

健康とは、

「そこにある権力関係に従う振る舞いとは別の振る舞いが可能であること」

と、ここでは定義しよう。


つまり、

「自分は下の人だから上の人にペコペコしなければならない」とか、
「自分は上の人だから下の人に指示を出さなければならない」とか、
「自分は下の人だから上の人には逆らえない」とか、
「自分は上の人だから下の人にひどいことを言っていい」とか、

他にも無数に考えうるし、もちろんそれぞれの場所の権力関係によって様々でありうるが、
とにかくそういう、権力関係における「型」とは「別の」振る舞いが可能、ということが「健康」ということだ。

……

上にいるからといって健康とは限らない。
下にいるからといって健康でないとは限らない。

だから、上にいる人が振る舞いを改めるべき、という要求は、不可能な要求でありうる。

……

権力関係における苦しみは、権力関係における振る舞いの「型」を要因とするものである。

それゆえ、苦しみをなくすには、その「型」とは「別の」振る舞いが必要である。

つまり、誰かが「別の」振る舞いをする必要がある。

すなわち、誰かが振る舞いを「変える」必要がある。

とは言え、振る舞いを(その時点において)変えることのできる人もいれば、できない人もいる。

だから、苦しみをなくすには、振る舞いを(その時点において)変えることのできる人が変える「しか」ない。

……

で、

健康な人が健康であること、あるいは、健康になれる状態の人がどんどん健康になっていくこと、「しか」ないんじゃないか、

と思った。

地震とか台風とか

自殺のニュースなどを見ると、あぁ、背負っていたものを放り出せなかったんだな、背負っていて苦しんでいたもの放り出せなかったんだな、無責任に放り出せれば良かったのにな、と、これまでは思っていた。

でも、最近、ちょっと思うことが変わった。

放り出すことができるためには、放り出すものが「何なのか」が分かっていなければならない。

苦しいものを放り出すには、自分が「何に」苦しんでいるのかが分かっていなければならない。


死ぬほどの苦しみにおいては、そんなことは分からないのかもしれない。


あるいは、分かる分からない以前に、それは「もの」ではないのかもしれない。「何なのか」が分かるような「もの」ではないのかもしれない。背負うとか背負わないとか放り出すとか放り出せないとか、そういう次元の話ではないのかもしれない。

自分でコントロールすることが可能でありうるようなものではない、それは、地震とか台風とかに似ているのか、そういう、否が応でも巻き込まれてしまわざるをえないような、そういうものなのか。死ぬほどの苦しみとは。


なんか、最近、そんなふうに思う。

見方。よしよしして。

「ものの見方を変えれば楽になる」

と、言われる。

が、「ものの見方を変える」のは難しい。少なくとも、難しい場合が少なくないと思われる。


「変える」と言うわけだから、そこには、変える「前」と変えた「後」があるわけだ。

今の、現状の見方と、
もっとよい、もっと楽になる、新しい見方。


新しい見方ができるようになるには、
現状の見方を「よしよしする」必要があるのではないか。現状の見方を、現状の見方をする自分を。

「よしよしする」とは、
現状の見方を肯定する、
現状の見方を受容する、
現状の見方をする自分を心から愛しいと感じる、
現状の見方をする自分を愛する、
自分が現状の見方をすることに必然性を感じる、
自分が現状の見方をすることが自分にとって必要なことだったんだと心から感じる、

そういうことだ。

新しい見方ができるようになるには、「まず」、よしよしすることが必要なのではないか。

よしよしする「前」に現状の見方を「否定」してしまっては、新しい見方ができるようにはならないのではないか。

そんなふうに思った。ラーメン屋で。

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許せますように

間違いってないよなぁと思う。
間違っていたから直す、とか、ないよあなぁと思う。
間違ったことをしてしまった、今度からしないように気をつけよう、とか、ないよなぁ。

人を殴ってしまった、殴るのは間違ったことだ、今度から殴らないようにしなければ、とか、ない。
無断で仕事を休んでしまった、悪いことだ、今度からちゃんとしなければ、とか、ない。

あとは逆に、
間違ったことだけどやってもいい、とか、
悪いことだけどやっちゃえ、とかも、ない。

……

変わることはある。
やることが変わることはある。
殴る人が殴らなくなることはある。
無断で休む人が連絡を入れて休むようになることはある。

でもそれは、殴ることが間違ったことだからとか、無断で休むことが悪いことだから、ということではない。

それは例えば、散歩をしていたら疲れたからベンチに座る、みたいなもの。散歩をしていたら急用を頼まれたから踵を返す、みたいなもの。

間違ったことも悪いこともこの世にはなくて、ただその時時の思いのままに私たちはある、というだけのこと。

誰も、自分を責めずに、他人を責めずに、
そこに生まれた思いに身を委ねて変わり続けることを許せますように。

『死者の部屋での会話』

『死者の部屋での会話』

場所
居住型老人ホームの一室

状況
その部屋に住んでいた女(80代)がさっき亡くなった

登場人物
男(50代、亡くなった女の息子)
女(名前は咲季、高校生、男の弟の子供)

亡くなった女がベッドに横たわっている
老人ホームからの死の知らせを受けて駆けつけた男が座っている
高校生の女が部屋の外から扉をノックする

男「はい」
女「(扉を開けて)あ」
男「あ、入って」
女「うん(部屋に入ってベッドの近くまで来る)」

沈黙

男「あ、お母さんは?」
女「ママは下で話してる」
男「そう」
女「うん」

沈黙

男「パパは?」
女「パパは仕事終わったら来る」
男「あぁ」

沈黙

男「突然だったなぁ……いや、そうでもないか」

沈黙

女「悲しい?」
男「うーん、悲しい、かなあ」
女「……」
男「悲しいっていうか、心が静かになっちゃったなぁ、みたいな感じだなあ」
女「なにそれ」
男「(笑)」
女「どういうこと」
男「うーん」
女「心って、伯父さんの?」
男「うんうん、そう」
女「ふーん」
男「うん」
女「悲しいね」

沈黙

男「咲季ちゃんは?」
女「何が?」
男「悲しい?」
女「いま悲しいって言ったじゃん」
男「あ。そっか、そっか」

沈黙

女「おばあちゃん、綺麗だね」
男「うん」
女「私が死ぬ時も綺麗に死ねるかな」
男「(笑)」
女「なんで笑うの」
男「もうそんな先のこと考えてるのかと思って」
女「綺麗な見た目で死ねるかは大事だよ」
男「そっか」
女「うん」
男「結構何回もお葬式に出たけど、みんな綺麗だった気がするなあ」
女「死んだ人?」
男「うん」
女「ふーん」
男「うん」
女「そういうものなのかな」
男「そうなのかも」
女「ふーん」
男「なんでだろうね」
女「わかんない」

沈黙

女「うちのパパとママは綺麗じゃないと思う」
男「……」
女「あの人たちは、なんか、うん」
男「うーん」
女「たぶん、そう。汚い」
男「うーん」
女「特にママ。パパは、正直よく分かんない」
男「うーん」

沈黙

女「あ、結局、結婚相手、おばあちゃんに見せれなかったね」
男「(笑)」
女「仕事もしてないしね」
男「してるよ! ちょっとだけ」
女「うん」
男「でもそのおかげで親の死に目に会えたから」
女「え、会えたの?」
男「会えたよ」
女「あ、そうなんだ、よかったね。死んだって連絡もらってから来たのかと思ってた」
男「あ、そうだった」
女「え?」
男「ここの人から電話もらって、それで来たんだった。そうだそうだ。死に目に会えてなかったんだ、俺」
女「なんでそれ間違うの」
男「会えた気でいたよ」
女「変なの」

終わり