哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

店長への手紙

 12月の初めに或るアルバイトを辞めました。
 そのときに、辞める辞めるなという話を店長といろいろしたんですが、そのあと店長にあるメールを送りました。以下の文章がそれです(人の名前は変えてあります)。




井上さんへ

 こんにちは。
 この前の木曜日に話してから(あるいはこの2ヶ月半ほど井上さんと関わってきて)考えたことで、これはちょっと伝えておきたいなと思ったことがあったので、書いてみました。

 あの時話していて思ったのは、井上さんは、僕の感じていること・考えていることを聴く気があまりないんだな、ということでした。僕は井上さんに対して「聴く」ことを期待していたわけではないので、特にショックや不満はありませんが、✕✕(アルバイト先の会社名)を辞めるという僕の決断が全く揺るぐ気配がなかった理由(辞める理由ではなく)の一つとして、これはある程度大きいのかもなと思います。

 井上さんの、人の話を聴く時の反応は、だいたい、「何を言っているのか理解できない」か「あ、それってこういうことでしょ、理解したよ」の二つに分けられると僕は感じました。つまり、「理解できない」と「理解済み」の二種類。スパッと分ける。理解できないものは理解できない、理解したことはすでに完全に理解した、という二種類。それで、出来るだけ早く、「理解できない」ことを「理解済み」に移行させようとする。で、「それってこういうことでしょ、ああいうことでしょ」と完結させる。これが井上さんの「聴き方」だと僕は感じました。

 それでは、「話し方」はどうか。
 井上さんが僕を説得していたあの場の中で、僕にとって最も印象に残ったのは、「ここで辞めたら、次の職場でも同じことになるよ」という言葉と、(これは井上さんの言葉ではなく森田さんの言葉ですが)「逃げ」という言葉です。
 こういう言葉をかけられて僕が説得されるとしたら、おそらく、「こういうふうに(「こいつ逃げたな」とか)この人たちから思われたまま辞めるのは癪だな、悔しいな」と強く思う時です。あの時の井上さんの方法は、そういう、人の「負けず嫌い」な部分に訴えかける方法だったと思います(他にもいろいろとあったかもしれませんがあまりきちんと記憶に残っていない、且つ他のことに関しては僕の分析力が及ばないので割愛します)。
 実際、この方法は有効な時がわりと多いと思います。なぜなら、相手の感じていること・考えていることが何であれ、相手が「負けず嫌い」であればこの方法は有効だからです。つまり、この方法は、相手の話をあまりきちんと聴かなくてもいいんです。「俺は、それは「逃げ」だと思うよ」ということを伝え、相手が「そう思われるのは癪だな」と感じればいいんですから。
 つまりこういうことです。
 「それは「逃げ」だ」と思っているのは井上さんの側です。相手はその井上さんの思いに対して、「癪だな」などと思うわけです。つまり、ここで主導権を握っているのは説得する側である井上さんで、説得される側である相手は井上さんの導きに従属しています。「まずはじめに」井上さんの思いがあって、「そのあと」相手はそれに反応する、という構図です。その「はじめ」にある井上さんの思いに対して、相手が「癪だ」と感じれば、この方法は成功します。

 以上の方法のメリットでありデメリットは、相手には主導権がないということです。この方法において、相手の感じていること・考えていることは、本質的にはどうでもいいことになっています。相手の感じていること・考えていることを「はじめ」に置いて話を進める方法ではありません。

 それでは、相手が主導権を握る方法、相手の感じていること・考えていることをはじめに置いて話を進める方法とはどんな方法か。その一つは、説得する側が説得される側の話をじっくりと聴くことだと思います。すぐに理解しようとはせずに、とりあえず焦らずにゆっくり聞いていくことだと思います。この方法においては、相手の話を理解できているかどうかは実際あまり重要ではないと思います。そもそも、他人の感じていること・考えていることを「本当に」理解するのは、めちゃくちゃ難しいことでしょう(と言うか不可能に近い?)。理解できているかどうかよりも、「じっくりと聴いている」ということが重要だと思います。じっくり聴かず、すぐに「これはこういうことでしょ」と理解してしまう方法とは違います。理解しようという努力はもちろんしなければなりませんが、全てを理解する必要はない。それで、こちらから話すことは最低限だけにして、相手から出てくる言葉を待つ。そういう方法が、説得される側である相手が主導権を握る方法の一つとしてあると思います。

 この方法のデメリットは、説得する側の持っていきたい方向にことが進むかどうかが分からないということだと思います。つまり、説得する側がコントロールできない部分を大きく許容しなければならないということです。今回で言えば、「バイトを続けさせる」という目的があったわけですが、その「バイトを続けさせる」という目的は一旦わきに置いて、まずは相手の話を聴いてみるということから始めるわけです。そして、その相手の話に基づいて考えていくわけです。もちろん、「バイトを続けてほしい」ということは伝えるわけですが、それは本質的には、相手にバイトを続けさせるためにではなく、相手の感じていること・考えていることを引き出し、「聴く」ためにです。

 でも、こういう方法で「聴く」ことによって、「あ、この人、ちゃんと聴いてくれてる、嬉しい」とか「あ、自分はこの人にきちんと関心を持たれてるんだ」とか「なんか、ここにいると安心できるかも」とか思う人は一定数いるんじゃないかと思います。それによって、結果的には「バイトを続ける」という選択をする人もいるだろうと思います。「負けず嫌い」ではない人でも、この方法ならば、説得される可能性がある気がします。
 また、そもそも、きちんと「聴く」ということをしなければ、相手に届く言葉を言うこともできないのかもしれません。先ほども書きましたが、井上さんはすぐに「理解済み」にしてしまうところがあると僕は感じます。それは、言い換えれば、井上さんの理解しやすい仕方でしか理解できないということです。相手の言っていることを聴いた結果として井上さんと相手との「間」に生まれる理解ではなく、比重がかなり井上さん側に寄っている理解、ということです。そうすると、その理解がもし的確だったとしても、そこから出てきた井上さんの言葉は、なかなか相手には伝わらないのではないかと感じます。今のその人に伝わる言葉を発するためには、今のその人の文脈、その人の思考の仕方に合った言葉を選ばなければならないからです
 話は逸れるかもしれませんが、僕としては、必ずしも今すぐに言葉が伝わる必要はない、何十年後かにやっと伝わるのでも悪くない、と思っています。それどころか、死ぬまで伝わらなくて、それはそれでいいとも思います。人間の命は有限なわけですから、死ぬまで伝わらない・分かりあえないことも必ずあります。そして、この「死ぬまで伝わらなくていい」というのは、「仕方ない」ということではないと、僕は思っています。そういう消極的な意味での「いい」ではなく、積極的な意味での「いい」だと僕は思います。これは勝手な予想ですが、井上さんは、「死ぬまでに伝わらなくていい」を消極的なニュアンスでしか捉えないのではないでしょうか? だとしたら、この、井上さんと僕の感じ方の違いは、井上さんが僕のことを「諦めている」(これ、木曜日に話した時に言ってましたよね、たしか)と感じ、僕は自分のことを「諦めていない」と感じるという違いに結びついているかもしれません。これについてここには詳しく書きませんが、いつかまた話す機会があったら話したいですね(それこそありうるとしたら何十年後かになりそうですが。もしかしたら死後かもしれません。僕としては、死後でもいいんです)。
 話、逸れましたかね。

 話を戻しましょう。
 井上さんは、あの時、「口の上手さ」という表現をしました。これは、「話す力」と言い換えてもいいかもしれません。井上さんは、相手を動かしたいと思う時に、自分の「口の上手さ」によって動かそうとするのだと思います。「聴く力」ではなく、「話す力」によって。つまり、相手の話をあまり「聴く必要のない」方法によって。要するに、井上さんは、「自分が主導権を握る方法」を好んで使う傾向があるんだろうなと、僕は感じるのです(人を説得するという場面以外でも?)。
 井上さんの方法は、「負けず嫌い」な人には有効だと思います。それで、そういう「負けず嫌い」な人をたくさん雇いたいのなら、井上さんの方法で問題ないだろうと思います。でも、「負けず嫌い」ではない人も雇いたいのだとしたら、相手に主導権を渡し井上さんは聴く側に回る、という方法も、使う必要があるのかなと感じました。確かにこの方法は、井上さんのコントロールできる範囲を狭める方法だと思いますが、結果的には、バイトを辞めようと思った人がバイトを続けるという決心をする可能性は増すような気がします。少なくとも僕の場合であれば、井上さんがそういう人であれば、バイトを辞めるという決心が揺らいだ可能性は今回よりも高くなっていただろうと感じます。
 また、もしどうしても「聴く」のが苦手であれば、必ずしも井上さん一人が「聴く」必要はないと思います。例えば、「話す人」は井上さん、「聴く人」は○○さん、という役割分担をするのも悪くないかもしれません。つまり、「聴く」ことを得意とする人を井上さんと同等の地位に置いたりするということです(まあ、他にも方法はいろいろありそうですよね)。

 伝えておきたいことは以上です。
 これは僕を説得していた井上さんに限って僕が思ったことです。他の人を説得している井上さんが、もしかしたら僕を説得する時とは違う方法を取っていたとしたら、また話は変わってきますね。それに、こんな話はいろんな本に書いてあることですし、長く生きていればある程度自分で自覚できることではあるでしょうから、「そんなこと分かっとるわい」とお思いになったとしたら、失礼しました。
 まあ、でも、とりあえず、この文章を送っても、井上さんにとって益があるかは分かりませんが少なくとも損はないだろうと思ったので、送ります。

 それでは、さようなら。

△△(僕の名前)




この手紙の内容に影響を与えた本
・本間正人・松瀬理保 『コーチング入門』 日経文庫
西村佳哲 『かかわり方のまなび方』 ちくま文庫
・西原由紀子 『自殺する私をどうか止めて』 角川書店
・渡辺哲夫 『知覚の呪縛』 ちくま学芸文庫
マルティン・ハイデッガー形而上学入門』 川原栄峰訳 平凡社ライブラリー
スピノザ 『エチカ(上・下)』 畠中尚志訳 岩波文庫



追伸
 森田さんの「逃げ」という言葉が印象に残っていると書いたので、僕が井上さんを苦手なのと同じように、森田さんのことも苦手なんだなと思われる可能性があるかもと思ったので、一応、追伸です。僕は森田さんのことは好きです(笑)。


………


 メールの文章は以上です。
 今なら、もう少し違うことを書くだろうなあとは思います。でも、このときはこういうことが書きたかったんだなあ、と思います。