哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

無力

この世界がなぜ(このように)あるのかは、謎である。

なぜ謎なのかと言うと、世界には外部がないからである。
世界の外に何かがあると想定することはできない。
なぜなら世界とは全てを含むものだからである。

なぜ(このように)あるのか。
人間なら、別の人間(親)から産まれたから、と説明することができる。

しかし、世界は、別の世界(世界の親)というものを持たない。
世界の親を想定してしまった時点で、世界の親も世界の一部ということになるからだ。

この世界がなぜ(このように)あるのかが謎である、
且つ、
全ての事象は世界内で起こる、
としたら、
全ての事象がなぜ(このように)あるのかも謎である、
ということになる。

例えば唯一神を信仰する宗教ならば、
「世界は神が創った」と言うかもしれない。

僕は特定の宗教を信仰している自覚はないが、
神というものにはリアリティを感じる。

「世界は神が創った」
これは結局、僕にとっては、世界がなぜ(このように)あるのかは謎であるという意味である。

神を信仰するとは、この世界の存在が、そしてこの世界に起こる全ての事象の存在が、根本的に謎である、ということを信仰することなのだ。

謎が絶対に解けないということを信仰すること、
その意味で、私は無力であることしかできないということを信仰することなのだ。

愛とは何なのだろう?