哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

行ってしまえば

行ってしまえば楽しい、
そこに行ってしまえば楽しい、
「そこ」は楽しい、
でも、そこに「行く」のは気が進まない。

ということがある。

飲み会に行ってしまえば、
飲み会の中に入ってしまえば、楽しい。
でも飲み会に「行く」気にはなかなかならない。

稽古に行ってしまえば、
稽古の中に入ってしまえば、楽しい。
でも稽古に「行く」のはダルい。

なぜなのか。
行ってしまえば楽しいということを、
「知って」いるのに、
なぜ行く気にならないのか。

いや、逆なのか。
行ってしまえば楽しいと、
「知って」いるだけで、
なぜ私たちは実際に「行ける」場合があるのか、
と問うべきだろうか。

今(=行く前、行っている最中)は楽しくない。
でも未来(=行ってしまえば)は楽しい、
と知っている。
楽しい未来のために、
楽しくない今を使えるのはなぜなのか。


……とは言え、
実際に行く時、
行っている最中、
つまり移動中は、
楽しくはないけど、
そこまで辛いわけでもない。
覚悟を決めてしまえば、
諦めてしまえば、
受け入れてしまえば、
未来のための今は辛くはない。
楽しいわけでもないが……



「行く」の「も」楽しい場合がある(!)。

違いは何なんだ。