哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

空→色→空→色

色即是空
空即是色

色→空→色

の順である。

しかし、おそらく、最初の色の前に、また空がある。

色を固める。
つまり、
形を固める。
という段階がある。
空→色
の段階だ。

まず色を固めなければ、それを崩す(色→空)こともできない。

例えば、生まれたばかりの赤ん坊の自己意識(と呼べるものがあるのか知らないが)は、色とは言えないだろう。空に限りなく近い。そこから様々なものを認識できるようになる中で、色が固まっていく。

それは、ある種の肯定の過程である。
大人が椅子に座っているのを子供が見る。自分(子供)も椅子に座ってみる。大人はそれを褒める。「椅子には座る」ということを覚える。「椅子」という色=「椅子には座る」という色、を知る。
このように、自分のやったことを他者から肯定されることが、色を固めるためにはおそらく必要である。

だから、他者との関わりが不足していたり、関わりはあってもいつも否定ばかりされてきた子供は、色を固められない。

固まるから、崩せる。
固まっていないものは崩せない。

あるいは、固まり方が弱い場合も、崩す欲求は持ちにくい。例えば、(性格的に)控えめであることができないのに「女らしく控えめでありなさい」と言われ続けてきた人は、他者から「控えめではない私」を肯定される経験が足りていないので、(「控えめではない私」であることしかできないために)一応「控えめではない私」として固まってはいても、固まり方が弱い。その場合もおそらく、「色→空」の運動は起こりにくい。「控えめではない私」というアイデンティティを崩したいとは思いにくい。

色即是空の運動は、ある色が窮屈に感じられるからこそ起こるものだ。窮屈に感じるには、一度、そこにガッチリと嵌まる経験をしなければならないだろう。自分の認識する世界や自分のアイデンティティがある色にガッチリと嵌まる(=他者に肯定され、自分でも肯定する)ことのできないような環境に置かれていると、それは難しい。

だとしたら