哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

ご飯

「自分の気持ちに蓋をして、見ないようにしている」人(と僕からは見える人)に僕が何か意見して、そうしたら上手く伝わらなくて、「人に伝える努力をもっとしろ」などと言われた時の、ある種の絶望感と似てる、いい例を思いついた。

「俺にご飯を食べさせたいなら、俺がご飯を食べる気になるようにもっと努力しろ」と言われた時(経験したことはない。想像です。)の絶望感に似てる。

ご飯を食べずに苦しんだり死んだりするのは、この人自身である……
(この人が僕にとって大事な人なら僕も苦しい。大事な人じゃなければ「勝手にしろよ」と思うのかな。)

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黒澤明の映画で、『赤ひげ』というのがある。
一番印象に残ったシーン。
いろいろあって心を閉ざしている患者の口元に、赤ひげ(医者)が、薬をのせた匙を差し出す。患者はそれを手で払いのける。薬は床にぶちまけられる。赤ひげはまた新しい薬をすくって差し出す。患者はまた払いのける。ぶちまけられる。赤ひげはまた差し出す。それが何度も何度も何度も繰り返される。そして、ある時、患者は匙にのった薬を、ぱくりと口に含む……

僕は、「薬がもったいない」と思いながらこのシーンを見ていた。
僕なら、こんなに何度も、払いのけられるのを分かっていながら、匙を差し出せるか……差し出せない……
これを「未熟」と呼ぶのかな笑

……

医者って、冷たいと思う。
冷徹、というか。
苦しみや悲しみを感じない、とかではなくて、
苦しみや悲しみと対峙しつつも、
それに振り回されるのではなく、
淡々と自分のやるべきことをやる。
そういう冷徹さ。