哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

言葉

ある人の言葉をそのまま、
僕が僕の言葉として言っていることがある。

僕はその人が言ったそのことに、
心から感動するので、
それが僕に直接染み込んで、
僕の口から自然と出てくるようになる。

でも、感動したからといって、その言葉の意味を明確に説明できないこともある。自分が何に感動しているのか、分からない。

だからなのか分からないが、時々、
「これは思考停止じゃないか」
「自分の頭で考えたことではないぞ」
と思ったりする。

でも、もしそうであるとしても、根本的には僕はそれに問題を感じていない、ということが、僕の感覚を観察していくと分かる。

……

言葉は、根本的には、意味ではない。
言葉は、根本的には、モノなのだ。

例えば、食べ物を食べたら、勝手に体がその栄養を吸収し、僕たちを生きさせる。そこで、どんなメカニズムで、どんな栄養が吸収されているのか、などといったことが分かっていなくても、体は勝手にそれを行う。

言葉も、たぶん、それと同じなのだ。
僕たちの体が、その言葉を受け取れる状態になっているのなら、体は勝手にその言葉を受け取る。頭で意味が分かっているかどうかは関係ない。体が求める言葉を浴びてしまったら、僕たちは、それを受け取ることを拒否することはできない。頭では拒否したつもりになっていても、体は拒否していない。
……そういうふうに頭と体の間で対立があるとき、僕たちは苦しみを感じる、のか。