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谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

すっかり忘れて

3週間くらい前に、人に会う機会があって、その人に物理的に近づいたら、やんわりと「拒絶」された(という感じが、その人の空気感から伝わってきた気がした)。

「その人はソーシャルディスタンスを気にしたのかも」ということに、今さら気づいた。

なぜ今まで僕がそれに気づかなかったかというと、僕がその人に近づいた時、僕が、ソーシャルディスタンスのことを「すっかり忘れて」いたからだ。



僕も普段はソーシャルディスタンスをわりと気にする方である。

しかし、僕はその時、その人に会えたことが嬉しくて、うっかり近づいてしまった。

その時、「世間ではソーシャルディスタンスとか言ってるけど、実際そんな気にしなくてもいいっしょ」などと思っていたわけではない。

ソーシャルディスタンスのことを、すっかり「忘れていた」のだ。

(「忘れる」ということ自体が、ソーシャルディスタンスを「気にしていない」ことの傍証だ、と言うことも可能かもしれないけれど)


僕はその時ソーシャルディスタンスのことを忘れていたのだ、ということに今さら気づいた。
つまり、今まで僕は、ソーシャルディスタンスをちゃんと気にしながらずっと生活している、と自分のことを認識していたのだ。
びっくりして、「あの人に物理的に近づいたのって、コロナ前だっけ、後だっけ?」と結構じっくり考えてしまった。


気づいた時、
その人の「拒絶」の理由が分かった(気がした)ことの安堵感と、
ソーシャルディスタンスを気にしていない人、他者をコロナに感染させることを気にしていない人、とその人やそれを見ていた(かもしれない)誰かから思われたのではないか、という不安が生じた。