僕は他人に対して無責任だ。
僕のしたことによって、相手がどう感じるかとか、もしかしたらなにか重荷を背負わせるかもしれないとか、とても傷つけてしまうかもしれないとか、そんなことは、結局のところどうでもいい。「結局のところ」と言ったのは、そういうことを全く気にしないというわけではないからだが、やはり、気にして、考えた末には置き捨ててしまう。
僕にとって他人は大事な存在だが、
他人にとっての僕は、そこらへんに生えている木とか草とか、野良犬とか、小さな地震とか大雨とか、そういう、「環境」みたいなものだ、という感覚が僕にはある。
その環境によってその人がどんな影響(害)を受けても、それはその人がその環境に身を置いていたからそうなったというだけのこと、だと思う。
他人が傷ついているのを見ると辛くなる。
重荷を背負っているのを見ると苦しくなる。
それは、地震や豪雨によって大変な環境に置かれている人を見るのと、それほど変わらない。
僕は彼らに対して僕にできることをするのだろう。
でも、その人はその人の人生を生きるだろう。
僕はその人を生きることはできないし、もちろんそうしたいとも思わない。
人は自分自身を生きる。
人ができるのは自分自身を生きることだけ。
自分自身を生きられるのは、自分だけだ。
冷たく、暖かく。
人はみなひとりだけれど、
人はみなひとりであるという点で、みな兄弟である。
無責任と、責任。
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でも、自分にとって、他人だけではなく自分も「環境」なのだ。
僕は自分に対しても無責任でありたい。