哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

書く時に

気づいたんだけど、
僕は文章を書く時に、
他人に読んでもらおうと思って文章を書く時に、

僕の文章を読む人はみんな、僕の文章をじっくりと読んでくれるだろう

と思って書いている、気がする。


「じっくりと」とはどういうことかと言うと、

・この文章にはちゃんと「意味・意義がある」と思ってくれている(この世になくてもいい文章、どうでもいい文章だと思っていない)
・「読みたい」と思ってくれている(「読まされている」と思っていない)
・書かれていることを「理解したい」と思ってくれている
・読んでも理解できない部分があった時に、理解の手がかりがきっとあるはずだと思ってくれて、その部分に関連しそうな部分を少なくとも一回は読み返してくれる
・言葉を、「情報」とか「意味」としてだけではなく、「人(たにしょー)が書いたもの」「人(たにしょー)の手が書いたもの」「人(たにしょー)の思いが書かせたもの」として受け取ってくれる

こんなところか。
まあ、同じことをいろいろ言い換えているだけな気もするが。


「じっくりと」は、
「好意的に」
と言い換えてもいいかもしれない。




こういうふうな思いで文章を書くことが、
僕や社会や世界にとって、
どういう意味を持っているのか、
今のところよく分からんのだけど、
ちょっと考えてみたい、かな


今のところ、まあ、
僕にとっても、
社会にとっても、
世界にとっても、
わりかし いいこと なんじゃないかなぁという感覚があるけど。