哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

論理と物

ドラマを見る。
バラバラ、だけど、一貫性がある。
「カーテン素敵ですね」という発言から、「天気悪いね」という発言につながる。
カーテンと天気とには概念的に直接のつながりはない。
でも、カーテンを開ければ窓があって、その向こうには空がある。
だから、この会話の流れは自然だ。
こういう「バラバラ」の会話、自分でも普段は普通にしてるんだろうけど、
これを脚本として自分で作るとなると、ああ、難しい、と思う。
僕は、概念偏重、記号偏重、論理偏重、そしてその一貫性偏重、だから。
そう思ってから、でも、と浮かぶ。
「カーテン素敵」と「天気悪い」のつながりも、論理なのではないか。
と言っても、この二つの間には実はいくつかの項の論理的つながりが隠れている、というのではなく。
この二つが二つだけで直接的につながる論理。
物と物がつながるようにつながる言葉。磁石が冷蔵庫にくっつくように。小鳥が木の枝にとまるように。恋人同士が手をつなぐように。
それは、あの、記号の必然的つながりかのように見えるいわゆる論理においても同じなのではないか。
AならばB、BならばC、したがってAならばC。
これらも、あの恋人の手と同じようにしかつながっていないのではないか。
すべては物、なのではないか。
そう思ったら、なんだか世界が愛おしく見えてくる……などと思ったり思わなかったり。

……

コーヒーメーカー買おうかな。

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そう言えば、フーコーが『言葉と物」っていう本を書いてたな…