哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

自殺しないことを選ぶ、とは

 僕は、とりあえずのところ、「自殺しないで生き続ける」ということを選んでいます。

 これ、「自殺してはいけない」と考えている、という意味ではありません。自殺も選択肢のうちの一つだと思います。自殺も、生き続けるのも、選択肢のうちの一つ。どちらを選んでもいい。そう考えた上で、僕は、あえて、「自殺しないで生き続ける」ことを選ぼうと思っています。

 例えば、夜中にのどが渇いて何か飲もうと思い、冷蔵庫を開けたら、お茶が入っていた。まあ、たいていはそのお茶を飲みますよね。「お茶を飲むしかない」とも思わないくらい当たり前に、そのお茶を飲む気がします。
 でも、例えば水道水を飲んでもいいし、コンビニまでジュースを買いに行ってもいいわけです。10キロ先にしかコンビニがなかったらそこまで走ってもいいわけです。足が悪いなら、誰かに電話をかけて買ってきてと頼んでもいい(断られることはもちろんあるでしょうけど)し、となりの家の知らない人を訪問してジュースを貰おうとすることもできます(たぶん迷惑がられるでしょうけど)。そういういろんな選択肢が、常に必ず僕達と隣り合って存在しています。
 とは言っても、夜中に誰かに電話してジュースを買ってきてもらうなんて申し訳ないとか、知らない人の家を突然訪問してジュースを飲ませてもらおうなんて非常識だとか考えて、というか考えるまでもなくそういう選択肢を排除して、そんな選択肢は最初から無いものとして、僕達はたいてい、「お茶があるからお茶を飲む」んです。

 それがダメだと言いたいのではないんです。「本当はジュースが飲みたいんだから何としてでもジュースを飲め!」と言いたいのではないんです。
 ただ、そこで僕やあなたが茶を飲んだのは、「お茶があったから」「お茶しかなかったから」「お茶を飲むしかなかったから」「そうするしか選択肢がなかったから」、"ではない"、と言いたいんです。
 そこで僕やあなたがお茶を飲んだのは、お茶を飲むことを「複数ある選択肢の中から選んだ」からだ、と言いたいんです。

 で、ここからが大事なんですが、以上に書いたことを、「主体的な選択が大事」「自分の意志を持とう」「人間は自由だ」「人間には無限の可能性がある、本来はどんなことでもできる(キラキラ)」みたいな話に僕はしたくないんです。
 じゃあどんな話になるのか? それは、次回の記事で、書けたら書きます。