哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

実存主義

僕は「実存主義者」じゃないよ。

と言いたいがために、
「主体」とか、
「意志」といった用語を、
僕はあまり使わないようにしてきたと思う。

実存主義」とは何か、という話は置いておこう。
ここでは僕の勝手な「実存主義」のイメージを述べておく。いや、僕の、と言うか、「実存主義って世間ではこういうふうに思われがちなんじゃないかなぁ」と僕が勝手に思ってるイメージ、ですけど。

すなわち、
「社会(≒外部)がどうであっても、人間(≒内部)は、おのれの「主体」的な「意志」によって何でもできるし何にでもなれるんだ!」
みたいなイメージ。

僕は「実存主義者」だと思われやすい、と僕は思っている。
だから、「実存主義」と僕の考え方を区別したくて、
僕は、「主体」とか「意志」とかを使わないようにしてきた。


でも、使わないからと言って、区別できるわけでもないんだよね。

これからは使っていこうかな、
となんとなく今思っている。
使いながら、意味をずらしていく、というやり方?