正しさという後押し
自分のしたいことをするために、その後押しとして、「私のすることは正しい、と思う」ことがある。
自分のしたいこと、しようとしていることが、一般的な価値観の枠の外にある時、あるいは外にあると自分で思い込んでしまっている時、するのを躊躇してしまったりする。
そこで、一歩踏み出す勇気を出すために、「私は正しい」と思ってみる。「反対する人はたくさんいるかもしれないけど、きっと正しい、今のところ理解はされないかもしれないけど、最終的にはみんなのためにもなる」などと、思ってみる。
そのさなかにいる時には、思っ「てみる」などとという悠長な意識ではなく、「本当に正しい」と思っている。
あとから振り返ると、ああ、勇気が出なくて「正しさ」に頼ったのだなぁ、と思う。
「したいと思ったらする、正しいかどうかなんて関係ない」と思えることが最高だけど、なかなかそうなれない。
それなら、「正しさ」というある種の「幻想」の力を借りることがあっても、いいではないか、と思う。
結局は「したいことをする」ためなんだったら、いいではないか、と。
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