哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

優しさっていらなくない? って思ってしまうのだが

優しさって何なん、って思う。

わしは、優しさを重要視する人になんとなく不信感を抱いてしまう。

「優しさって要るかな??」と、思う。


優しさは、あったらあったで良いものだけど、なかったらなかったで特に問題ない。わしはそういう感覚でいる。

宝石みたいなものだ。宝石は持ってたら持ってたで綺麗で目に心地よくて素晴らしいとは思うけど、「宝石を持ったほうがいいよ」と人に勧めるようなものではない。というか、この世に宝石が存在しなくても特に誰が困るというわけではない。
宝石は持ちたい人が自由に勝手に持てばいい。それと同じで、優しさも、優しくありたい人や、すでに優しい性格の人が、自由に勝手に優しくあればいい。
わしはそんなふうな感覚でいる。

優しさは、
優しくありたいから優しくある→優しいのが「趣味」
もしくは、
自然と優しい振る舞いをする→すでに優しい「性格」
のどちらかとして存在すれば十分である。
優しくあろうとする必要はないし、また、優しくあることを人に勧めたりするのは基本的にはおかしなことだ。
わしはそんな感覚でいる。

……

検索したら7つの意味が出てきた。

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とりあえず現代の意味は1〜4の意味であるようだ。

1は外面的な「見える」優しさ。
2は振る舞いの優しさ。
3は性格の優しさ。
4は消極的定義(「〜ない」という形の定義)。

……

僕の中では、優しさはやっぱり、「贅沢品」という感じがある。宝石と同じ。

「余分なもの」という感じ。
余分だから無いほうがいい、という意味での余分ではなくて、普段は食べない高めのスイーツをたまに自分へのご褒美で買いたい、みたいな、なかったらなかったで問題ないけどあったら嬉しい気持ちになる、みたいな、そういう意味での余分。

優しさは、優しさを受けた人を幸せにするものだ、人を心地よくするものだ。そのはずだ。

だから、半端な気持ちで優しくあろうとしない方がいいと思う。

小さな子供が砂場遊びに夢中になる時のように、優しくあることが純粋に快くて優しくあってしまうとか、
優しくあろうとしなくても優しくあってしまうという、すでに優しい性格であるとか、
そういうことならばいいと思う。
つまり、その人が一人で勝手に自由に他人の評価とか関係なく優しくあるならば。
そうでないなら、やめたほうがいいと思う。

優しい人のほうが価値が高いから、とか、
優しい人のほうが得をするから、とか、
人には優しくしなければならないから、とか、
人に優しくしている自分が好きだから、とか、
人に優しくしないと人から優しくされないから、とか、
人に優しくしないと人から攻撃されるから、とか、
人に優しくしないと自分の価値が下がる気がするから、とか、
優しくあったほうが世界が良くなるから、とか、
もっと優しい世界であるべきだから、とか、

そういう気持ちで優しくしようとしてほしくない。
それは、むしろ、害悪である。
なぜなら、このように自分を強いて優しくなろうとすることは、優しさを受ける人に、優しさを受けることを強いるからである。「私の優しさを受け取って?」、 そういう優しさは人を幸せにしない。そういう優しさは単に不快なオシゴトを増やすだけだ。それで世界は良くならない。

……と、僕は思ってしまうのですが、どうなんだろ。

……

最近気づいたことがある。

僕は、「優しさはいらない」と思っているけど、世の中には「世界がもっと優しくあったらいいな」と思っている人もいる。そういう人と僕の考え方・感じ方の違いは、優しさが必要か不必要かということ以上に、優しさというものの捉え方にあるようなのだ。

優しさが必要だ、と思う人は、「もっと」優しさが必要だ、と思っているようなのだ。
……いや、もちろん、なんのデータもなくて、僕が今までに見聞きしてきたものの印象に過ぎないんだけど、、、
森達也の本で『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』という本があったりする。森達也は嫌いじゃないし一時期何冊も本を読んでたけど、どこかでちょっと合わない感じがある。映画の方が好き。森達也以外の人や物が出てくるから。)
……僕の印象では、優しさを重要視する人は、「もっと」という言葉を使う気がする。

つまり、
今は優しさが少ししかない、でももっと多くなることができるはずだ、
そういう感じ……
「度合い」「量」「寡多」
こういうカテゴリーに優しさを当てはめている。

対して僕は、「もっと」と思わない。僕は、「ある」か「ない」かのどちらかでしか優しさを考えていないようなのだ。だから、「少ない」とか「多い」とかもない。「ある」か「ない」かどちらか。

今のところ全然分かんないんだけど、この違いは重要な気がする。

……

あ、純粋に快いか、そもそもそういう性格か、の他に、もう一個、優しくあってもいいと思う場合見つけた!

優しくすることによってお金をもらう場合。
つまり、「職」「仕事」としてする場合。

お金をもらえるということは、それがちゃんとした優しさってことになるから。心地よくて人を幸せにする優しさってことになるから。だってそうじゃなければ誰もお金払わないんだから。