哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

難しい

ある行為をしたら、人から感謝されたり、褒められたり、お金が入ってきたり、高い地位につけたり、、、ということが予想できている状態で、しかし、それらを求めたり期待したりせずに、その行為が「よい」というだけの理由でその行為をすること、そして、その結果として与えられる感謝や称賛やお金や地位を、素直に、心から喜んで、受け取ること、その上で、与えられたそれらの所有を維持しようとは一切せず、ただ「よい」という理由だけで行為すること。

これは、ある「よい」行為をする時に感謝や称賛やお金や地位を貰うことを「拒否」しながらすることよりも、難しいと思う。

期待しない且つ貰わないよりも、
期待しない且つ貰う且つその所有を維持しようとしない方が、難しい。

貰ってしまえば、それを保持し続けたくなるし、またそれを貰えないかと期待してしまう。

だから、「未熟」なうちは、貰うのを「拒否」するのはありかもしれない。「よい」行為をするための方法として、というか、練習として、というか。

貰っても、その自己所有に固執せず、ただ「よい」行為のためにそれを利用することができるのが、成熟した人間である。
「よい」行為の内には自己への配慮も含まれていよう。自己犠牲は、僕は嫌い。