哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

真理を知っていること(を知っていること)

・真理を知っていること
・真理を知っていることを知っていること
 
重要なのはもちろん前者である。
しかし、後者を重視する人は多い。
自分が真理を知っているということを証明しようとする。
自分の言っていることが真理であると証明しようとする。
 
この証明は、単純な楽しみによってしかしてはいけないと思う。
間違っても、自分を他者に受け入れてもらおうとか、社会から排除されるのがイヤだからとか、人よりも上に立ちたいからとか、そういう動機でしてはいけない。そうしてしまうことは、そこで述べられていることが真理でないことの証左なのではなかろうか? なぜなら、そのような強迫的衝動は、真理を知らないがゆえに生じるものだからである。真理と強迫は矛盾する。真理は解放をもたらすべきものだ。
 
真理を自分のために使うな。
そもそも、自分が真理を知っていることを、自分が知ることなどできようか?
自惚れるな。
そもそも、知ってどうする。知っていることを知ってどうする。
人間がするべきなのは、ただ知ることだけ、ただ淡々と知ることだけではないか。