ときどきいろんな人から聞く話。
「いま幸せな状態でも、いつか嫌なことが起こるかもしれない」
「いま調子良くことが進んでいても、いつか上手くいかなくなる」
「いま良い気分でいるけど、いつか必ず落ち込むことになるだろう
こういうことを聞くと、なんだか不思議な気持ちになる。
どうして、「いつかの不幸」を「あえて」想像しようとするのだろ
僕にはない感覚である。
逆なら分からなくもない気がする。
「今は不幸だけど、いつか幸せになれるかもしれない」
結局これも馬鹿げた妄想だとは思うが、こう思いたくなる気持ちは
あとは、単純に「不幸はいやだ」と思うのなら分かる。
だって不幸はいやだもん。苦しいのはいやだもん。単純に。
……
いまふと思った。
もしかして、僕は幸せを感じたことがないのだろうか?
なぜそう思ったか。
もしかしたら、「いつかの不幸」を想像してしまう人は、「今の幸
それに対して、もし「今の幸せ」というものを強く感じたことがな
そうは考えられないか。
一つの仮説。
……
関係あるのか全く分からないが、デリダは「贈与のあるところに時
……
時間とはこういうところから生まれるものなのかもしれない。
自分にとってものすごく「よい」何かが与えられる。
→それが「よい」がゆえに、いつまでもそれを保持し続けたいと思
→それを失いたくないと思う。
→失う場面を想像する。
→「ここ」にある現状としては、それは保持されている。
→もし失う場面が現実化するとしたらそれは「ここではないどこか
→「ここ」と「ここではないどこか」が区別されるようになる。
→「ここ」と「ここではないどこか」の「間」が想定される。
→「ここ」と、「ここではないどこか」と、その「間」、これらが
みたいな。
……
二元論ってあんまり好きじゃないのよねぇ。