哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

「読んでもらいたくない」

 スピノザは、『神学・政治論』の「諸言」の終盤、「哲学的読者諸君」と呼びかける。「諸言」ではこの本の概要が説明されている。スピノザは、「諸言」を読んだ「哲学的読者諸君」にこの本が「歓迎して貰えることと確信」し、彼ら「哲学者たち」にはこの本の「主要な点」は「十分明瞭になったと信ずる」と述べる。
 次にくる文がこれだ。

「残りの人には余は本書を薦めようとは思わぬ。何故なら余は本書がどんなかの点でそうした人々の気に入ると期待し得る何らの理由をも持たないからである。」

 スピノザには、この本を読んでもらいたい人たちと読んでもらいたくない人たちがいる。読んでもらいたくない人とはどんな人か。
 スピノザは、読んでもらいたくない人の特徴を三つ挙げる。

・「実に余は、敬虔の名の下に人々が抱いているあの諸々の偏見は人々の心に極めて頑固に膠着していることを知っている」
・「また余は、民衆から迷信を取り去ることは恐怖を取り去ることと同等に不可能であることを知っている」
・「最後に余は、民衆が自己の考えを変えようとしないのは恒心ではなく我執なのであること、また民衆はものを賞讃したり非難したりするのに理性に依って導かれず衝動に依って動かされることを知っている」

 これは「民衆」の特徴である。

「故に民衆並びに民衆と共にこうした感情に捉われているすべての人々に余は本書を読んでもらいたくない。」

 もちろん、スピノザは「民衆」という語を、特定の社会的階層を指して使っているのではない。スピノザの言う「こうした感情」に捉われているかどうかが重要なのであり、「こうした感情」に捉われていないならば誰でも、この本を「読んでもらいたい人」ということになる。
 「こうした感情」が何を指しているかは、「感情」という語が原典において単数形か複数形にもよる(確認してませんm(__)m)が、おそらく、上記の三つの特徴で挙げられている「偏見」「迷信」「恐怖」「我執」「衝動」などとそれらに膠着する心性を指していると思われる。

 スピノザは、読んでもらいたくないという思いについて次のように言っている。

「余は彼らが本書を、すべてのものごとに対してそうであるように、見当違いに解釈して不快な思いをしたりするよりは、却って本書を全然顧みないでくれることが望ましい。彼らは本書を見当違いに読んで自らに何の益がないばかりか、他の人々に、──理性は神学の婢でなければならぬという思想に妨げられさえしなかったらもっと自由に哲学し得たであろうそうした人々に、邪魔だてするであろう。実にそうした人々にこそ本書は最も有益であると余は確信するのに。」

 この本を「見当違いに解釈」する人々は、自分自身に益をもたらせないだけでなく、この本が「最も有益」である人々に「邪魔だて」する、とスピノザは言う。この本が「有益」となりうる人にはできる限り読んでもらいたいし理解してもらいたい、それを「邪魔」してほしくない、そうスピノザは考えている。

 ところで、スピノザは、自身の考えが誤りのないものだと考えているわけではない。「余は、本書に書いている一切を世の祖国の最高権力の吟味と判断とに喜んで服せしめる用意がある」とスピノザは言う。

「もし余のいっている事柄のどれかが祖国の法律と矛盾し或は公共の安寧を害すると最高権力が判断した場合は、それを言わなかったと同様に見做して欲しい。余は一個の人間であって誤る可能性のある者であることを知っている。」

 この記事で引用したスピノザの言っていることの全体を、僕はまだよく分かっていない。しかし、今のところ僕が感じるのは、スピノザは、自分だけの益ではなく、他者の益を本気で考えているのだろうな、ということだ。
 自分の言っていることを理解する人だけに自分の本を読んでもらいたい理由は、非難をされたくないとか、自己肯定感を損ないたくないとかいうことではなく、自分の本を読んで益を得ることができる人に可能なかぎり益を得てほしいから、である。
 そして、自分の言ったことが誤っていればそれを言わなかったことにしてよい、とも言う。それが人々に益をもたらさないなら、それは「要らない」のだ。人々にとっても、スピノザ本人にとっても。スピノザは、自分の書いたものによって自分を認めてもらおうとは思っていない。徹頭徹尾、「他人の益」のことを考えている。
 そして、スピノザにとってそれは全く自己犠牲的なあり方ではない、と思う。これは僕の感覚でしかないが、スピノザの文章からは自己犠牲的な雰囲気が全くない。自己犠牲的な人が帯びがちな、妙に熱い感じとか、強迫性や焦燥感、自身を美化したい気持ち、、、そういうものが全く感じられない。ただ淡々と書いている。という気がする。
 気がする、だけ、ですけど。

 ちなみにスピノザは、『神・人間及び人間の幸福に関する短論文』で、自分の本を読んだ友人たちがその内容を他の人に伝える場合の注意として、以下のことを言っている。「単に諸君の隣人の幸福より以外の目標を持たないように」、そして「諸君の骨折りが報いられずにいないだろうことがはっきり見込まれている場合に限るように」。

……
……

(引用は、スピノザ『神学・政治論』畠中尚志訳 岩波文庫スピノザ『神・人間及び人間の幸福に関する短論文』畠中尚志訳 岩波文庫 から。旧字体等は適宜改めた。)