哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

ただ生命

サン・テグジュペリは郵便配達のパイロットだ。危険な仕事である。この日、彼は同僚と二人、不慮の事故によって砂漠の真ん中に降り立った。ここがどこなのか分からない。水も食料もほとんどない。彼らが生きているうちに仲間が助けに来る可能性はほぼない。そんな中で希望を(捨てそうになりながらも)捨てずに数日間を過ごした。

この時代のこの職業は今よりもはるかに死が身近だ。彼らはこのような事故を覚悟してこの仕事をしている。「ぼくの職業の当然の秩序だ」と彼は言う。

しかし彼は幸福である。砂漠の真ん中で、極限の渇きの中で、彼は「ぼくは、自分の職業の中で幸福だ」「ぼくには、何の後悔もない」と思う。

何が彼にそう思わせるのか。彼はスリルを愛しているのだろうか。あえて危険なところに身を投じること、あるいはそこでその危険を乗り越えること、それに興奮や快楽を覚えているのだろうか。それとも、死という甘いロマンティシズムの誘惑に囚われているのだろうか。

そうではない。彼は爽やかな海の風を胸いっぱいに吸った経験をあげて言う。

「一度あの風を味わったものは、この糧の味を忘れない。そうではないか、ぼくの僚友諸君? 問題はけっして危険な生き方をすることにあるのではない。この公式は小生意気だ。闘牛士はぼくの気に入らない。危険ではないのだ、ぼくが愛しているものは。ぼくは知っている、自分が何を愛しているか。それは生命だ。」

死と隣合わせであるこの職業に就いていながら、彼が愛するのは生命である。危険と死への欲望は斥けられる。

この本の中では、「生命」に「いのち」とふりがながふられている箇所もある。生命、いのち、生きるということ。

結局はどんな職業でもよいのである。「飛行機は、目的でなく、手段にしかすぎない。人が生命をかけるのは飛行機のためではない。農夫が耕すのは、けっして彼の鋤のためではないと同じように」。

生命は彼にとって、飛行機の中で彼が日々触れている自然物たちが象徴している。「人は風に、星々に、夜に、砂に、海に接する」。自然物たちに囲まれた人間たちはそこで、人間の働きをする。「人は自然の力に対して、策をめぐらす。人は夜明けを待つ、園丁が春を待つように。人は空港を待つ。約束の楽土のように」。そしてそこには自分がいる。「そして人は、自分の本然の姿を、星々のあいだにさがす」。

「ぼくは、自分を、空港を耕す農夫だと思っている」と彼は言う。彼はただ耕す。耕すということがそれだけで彼の喜びである。耕すことで、彼は生命を、あらゆる生命を自らのうちに感じるのである。




引用は全て、サン・テグジュペリ 『人間の土地』堀口大學新潮文庫 p213-215 からのものである。