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谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

権力構造、子供扱い

 権力を持っている側はおのれの振る舞いに気をつけなければならない、と言われる。僕はこれに対して簡単には頷けないでいる。

 こういう主張は例えばこんなことを言う。「権力を持つ側の人間は自分が権力を持っていることに無自覚になりやすい。自分では相手と対等でいるつもりでも知らず知らず相手を上から押さえつけてしまっている。それは良くない。だから、自分の権力に自覚的になり、自分のふるまいが権力者ゆえに許されているだけの実際は横暴なふるまいではないかどうか常にチェックし、自分の周りの人たちが安心できる環境を作らなければならない。例えば、自分の意見を相手に押し付けないようにまずは相手を話をきちんと聞くとか、「相手のためを思って」などという理由で無理なこと求めないようにするとか、愛のムチだとか言って暴力(殴る蹴る)を正当化したりしないとか、そういうことが必要である」。

 分かる。自分の権力に無自覚で、自分のふるまいが権力という既得権益に寄りかかったものだと気づかずに生きるのは愚かである。権力を持っていなかった側(例えば「女性」)の権利が回復された時に「私たち(例えば「男性」)の権利が侵された! 逆差別だ!」とか言う人を見るのは物悲しい。自分(の属している側)が持つ権力がどのようなものかを知るのは良いことだ。

 でも、なんだか違和感がある。なんだろう、この違和感。

 言語化してみよう。
 おそらく僕は、上のような主張において、自分の権力に自覚的にはなるけれど「権力構造(どっちが権力を持つ側でどっちが権力を持たない側かという構造)を変える」ところまでは目が向いていない、という印象を持つのである。
 僕は、「「……変える」ところまでは目が向いていない」という部分を、一旦「変えたくない」と書いた。でも書き直した。彼らは権力構造を変えたくないわけではない。でも、権力構造よりも彼らが注目しているものが今のところあるのだ。

 彼らが権力構造よりも注目していること、言い方を変えれば、心配していること、それは何か。

 それはおそらく、「傷つくこと」である。
 彼らは、権力の不等性によって理不尽に傷つく人がいるということに思いを向けている。そして、とにかく傷つきが生じないようにしたいと思っている。
 だから、彼らの願いは、権力を持つ側が「〜しない」ことである。意見を押し付け「ない」、無理なことを求め「ない」、殴ら「ない」、蹴ら「ない」、等。権力を持つ側は権力という安全な台座から、言い換えれば「上から」、意見や要求を落としてくる。それは重力に従って加速し、「下」にいる者たちに勢いよくぶつかる。権力を持つ側が他人に対して何かを「する」なら、全てはこのようになる。本人はただ単に手渡しているつもりでも、そこには必ず落差があり、したがってそれは強い力を持つ。そしてそれにぶつかった「下」の者は傷つく。必ずそうなる。権力を持つ側は「上」にいるのだから。権力を持つとはそういうことだ。
 そうであるなら、権力を持つ側が他人を傷つけないようにするためにできることは、「〜しない」ことであるということになる。だから、人が「傷つくこと」を何よりも心配する者は権力を持つ側にそれを求める。「傷つけないこと」を「すぐに」実現しようとするなら、そうなる。

 しかし、そのようにすることは、権力構造をそのまま残すことになると、僕には思える。それが、「権力構造を変えたくない」と僕がさきほど(間違えて)書いた理由だ。
 権力を持つ側が自分の権力に自覚的になり、「〜しない」ことに極力努めることで他人を傷つけないようにしようとすることが、権力構造をそのまま残すことになる。これはどういうことか。
 僕には、権力を持つ側が「〜する」にしても「〜しない」にしても、つまり、権力に寄りかかって横暴にふるまうにしても、権力に自覚的になり慎重にふるまうにしても、どちらにしても、相手を「子供扱い」しているように感じられる。「相手は子供だからこちらが支配する」というスタンスから、「相手は子供だから支配しようとしないように気をつける」というスタンスに変わっただけ。「相手は子供だから厳しくする」から「相手は子供だから優しくする」に変わっただけ。「子供扱い」に変わりはない(「子供」を「年下」「部下」「女」などに置き換えてもよいだろう)。
 そして、「子供扱い」をするのはもちろん「大人」である。つまり、ここには「大人」と「子供」がいる。いる、というか、いるという構造になっている。「大人」と「子供」、抽象化すればこれは「上」と「下」であり、「権力を持つ側」と「権力を持たない側」である。つまり、権力を持つ側が自分の権力を自覚してふるまいを気をつけることは、自分の権力に無自覚に寄りかかってふるまっていた時と同じ権力構造に基づいているのである。

……

 続きはまたあとで書く、はず……