昨日は、越谷市でおこなわれた信田さよ子さんの講演会に行ってきました。
一番印象に残ったのは、
「加害者を研究しなければ被害者の当事者研究は成り立たない」
という話です。
なぜそれが印象に残ったのか。
それは、僕が、「まずは自分自身のことを知らなければ他者のことを冷静に見ることはできない」というような思いを持っていたからです。
ここでいう「加害者」とは親(あるいは親の親)であり、「被害者」とはその子供(あるいは孫)のことです。
僕のこれまでの経験からくる感覚としては、まず自分を研究しなきゃ、親のことは分からない、というのがあります。自分を研究する中ではじめて、自分は親からどんな被害を受けてきたか、親から受けたどんなことが自分は嫌だったか、親から受けたことが今の自分にどんな影響を及ぼしているか、といったことが分かる、ということです。つまり、親に関する理解は、自分を研究する中で"付随的に"分かってくるものだ、というような感覚があったんです。
だから、加害者(親)の研究が順序として自分よりも先にくる可能性が示されたことに、驚きました。
おそらくですが、僕は、自分のことをおいて、先に親の研究をすることを、親への甘えの表れであるかのように捉えていたのかもしれません。つまり、「親が一方的に悪く、自分には何の責任もない」という思いの表れであるかのように。だから、先に親を研究することに対して、無意識的な拒否反応があったような気がします。
(もちろん、こういう、「親のせいにする」ということが必ずしも良くないこととは限らないといろんな本に書いてあります。むしろ、回復の一つの段階として積極的に推奨されたりもしますよね。)
信田さんのよれば、先に親を研究することは、「親への甘えの表れ」ではなく(と言うか信田さんはそういう文脈では話していません。そもそもそういう問題ではないんですね)、当事者研究の手法として正当なものなのでした。そこが僕にとっては新しい可能性の発見でした。そういう手法が存在するということ自体が発見でした。
とは言っても、加害者(親)の研究から被害者(自分)の研究へという方向が、具体的にどのように効果を持つのか僕にはまだ実感としては分かっていません。
質疑応答の時間に訊ければよかったのですが、全てが終わってアンケートを書いている途中に思い浮かんだことなので、ときすでに遅し、でした。
まあ、これから勉強していけばいいですよね。