哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

不安と苦痛

 前回の記事https://tani55sho44.hatenablog.com/entry/2019/05/04/105637に書いたことを、まだ自分の中で消化できないので、書きなぐってしまった(笑)。

 フィクションです。




 なぜか劇団に入ってしまった。なぜか、なんておかしな言い方だ。なぜなら自分で望んで面談に行ったのだから。
 苦しいのだ。苦しい苦しい苦しい。こんなに苦しいものなのか。
 まだ面談から二日しかたっていない。稽古もまだしていない。劇団の人には、面談をした代表の橋本さん以外、誰とも会っていない。
 なぜ苦しいのか。よく分からない。分からない。たぶん未来のことを考えているのだとは思う。稽古が始まって、全然上手く演技できなくて、あいつダメじゃんと皆から陰口を叩かれる。そういう想像をしている。大声を出すのさえ恥ずかしくて掠れ声になってしまい、大人の男が大声を出すだけで恥ずかしいなんてちょっとおかしいよね、と陰口を叩かれる。そういう想像をしている。いや、それならまだいいかもしれない。一応自分なりに頑張った結果として陰口を叩かれるのなら、仕方ない。もっと心配なのは、やる気がなくなることだ。やる気がなくなった状態で稽古に行くこと。やる気がなくて、でもやる気がないことには焦っていて、もっとやる気出せよと自分で思っているのだが、やっぱりやる気は出ない。その結果、全然稽古に身が入らず、やっぱり陰口を叩かれる。そういう想像をしている。
 面談を申し込む前は、やる気があったはずのに! あったから申し込んだはずだ。今になっては不安の大きな波にのまれて、当初はあったはずのやる気は見えなくなってしまった。本当にあったのかどうかさえも自信がなくなってきた。すごく悲しい。このまま不安に押しつぶされて、僕は劇団を辞めてしまうかもしれない。そうしたら、やる気のあった頃の自分が可哀想だ。演劇を、やりたかっただろうなあ、自分。それなのに今の自分が勝手に不安がりやがって、辞めることになる。ひどいことだなあ。
 辞めたくないのに。辞めたくないよ僕は。今の僕だって、辞めたくないよ。まだ辛うじて、演劇をやりたかったという二日前の記憶は残っている。だから、できることなら辞めないであげたい。自分のために、辞めないであげたい。


 不安が彼を満たしていた。不安に毒されていた、と言ってもいい。不安が彼の身体を蝕んでいた。不安に捕らわれ、彼はのたうち回っていた。
 彼は二日前に劇団に入った。なぜなら、演劇をやってみたいと思ったからだ。本気で思ったのだ。それなのに、いま彼は劇団を辞めようかと迷っている。不安だからだ。何が不安なのか。それは彼自身もよく分かっていない。彼の見立てによれば、未来の不甲斐ない自分とそれを嘲笑する人びとを想像しているから、である。しかしそれだとまだ足りない。まだ何かある。それは、相手に好かれるように頑張ってしまうこと。それが辛いのだ。それをするであろう自分を感じて辛いのだ。そして、頑張っても好かれないかもしれない、ということも辛い。
 さらに、頑張ったら好かれてしまうだろうと思うからまた辛い。彼の人生は好かれる人生だった。勉強も頑張った。先生に好かれた。バイトも頑張った。店長やバイト仲間に好かれた。サークルも頑張った。サークル仲間に好かれた。頑張ったら頑張った分だけ好かれるのが彼の人生だった。彼は、頑張った彼を好く人々に対して、「クソ野郎どもが」と思う。どうして僕を好くんだ、お前たちが僕を好くから、僕は頑張ってしまうではないか、そう思う。そして、ああ、他人のせいにしてしまった、なんて僕は情けないんだろう、と自己嫌悪に陥る。頑張ってしまうのは自分自身なのに、と。自分が勝手に頑張ってしまっているだけなのに、他人のせいにするな、と。
 彼は本当に演劇をやりたいのだ。やりたいのに、不安が大きすぎるために、それを感じ取れなくなっている。


 祐樹は、他人への信頼が足りないと思う。どうしてそんなに、自分が他人から嫌われると思い込めるのか。それが俺には分からない。祐樹は普通の奴だ。どこにでもいる凡人で、特別に凶悪でも、特別に善良でもない。普通に過ごしているぶんには好かれる方だ。たまに、いろんな事情で少し嫌われてしまうこともある。そういう普通の奴だ。あいつは、それが分かっていない。自分がどんな人間なのか分かっていない。
 自分が他人から「本当に」好かれることがあると思っていないのだ、あいつは。どんなに好いているように見えても、本当は好いていないんだろう、とあいつは思っている。どうせ僕があなたに好かれるように頑張っているからあなたは僕を好いているんだろう、僕が頑張らなくなったらあなたは僕を好くのをやめるんだろう、そう思っているのだ。
 俺は、祐樹が好きだ。あいつは、そんな俺のことも、「本当は好きじゃないんだろう」と思っているのだろうか。思っているのなら、悲しい。本当に悲しい。
 心の奥底では分かっているのだと思う。頑張っていない、ただの祐樹のことを、好きになる人がいる、ということを。あいつは分かっていると思う。分かっているのに、どうしてそんなに。


 面談に来た野崎君は、面白い奴だった。何か、いろいろと悩みを持っていそうだが、それも面白い。むしろ、それが、面白い。その葛藤がおもしろい。悩みは、認識と実態のズレから生じる。彼の認識しているものは少し実態からは離れている。彼は自分自身のことを結構すごい人間だと思っているようだ。でも、そういうふうに自分を認識している自分のことを、恥ずかしいとも思っていて、そういう自分を隠そうともしている。しかし、隠そうとしても、「隠そうとしている」ことが表れてしまうから、バレてしまう。
 要は、凄い自分でいたいのに、実際の自分がそれほど凄くないのが辛いのだろう。でも、その「凄い自分」も「凄くない自分」も、彼が勝手に頭の中で作り上げたものにすぎない。実際の彼は、凄くも凄くなくもない。少なくとも、何か突出して良い部分や突出して悪い部分は、今のところ見当たらない。人間の魅力というのはそういうところにはない。どんな人も魅力的でありうる。何が人の魅力なのか、それは、葛藤とそこで生まれる新たなものだ。どんな人も葛藤している。そのままのその人で、葛藤している。それを苦しく感じる人もいれば、それを普通のこととして淡々と生きている人もいる。それはどっちでもいい。葛藤は、新しいものを生む。石と石がぶつかれば火花が散る。川と川がぶつかれば渦ができる。新しいものを常に生み続けている人は魅力的だ。彼はその素質があると思う。だから入団を許可した。
 彼には言っていないけれど、この劇団は、面談で三人に二人は不合格になる。私が三人に二人を不合格にする。野崎君にはさらっと「入ってほしい」と言ったから、彼は気づいていないかもしれないけれど、少なくとも彼は、私の中で三人の中の二人ではなかった。