哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

僕がいま自分に言い聞かせていること。

 昨日、劇団に入ってしまった。
 入って「しまった」、と思うのだから、面白い。自分で望んで入ったのにもかかわらず。

 劇団の代表の人に「入ります」と言い、家に帰ってから、徐々に胃が痛くなってきた。
 何か新しいことを始めるとき、とりわけ新しい「他人」と関わり始めるとき、いつも胃が痛くなる。嫌われたらどうしよう、見下されたらどうしよう、気持ち悪がられたらどうしよう、怒られたらどうしよう、、、と不安なのだ。

 昔はそうでもなかった気がする。
 昔は、自分に自信があった。自分は頭が良いと思っていた。自分は能力があると思っていた。だから自分は誰にでも評価されると思っていた。みんな、僕のことを「すごい」と思ってくれると思っていた。大学の学部時代くらいまではそうだった。高い評価を他人からされると思っていた。もし低い評価をされたなら、そういう評価を下したその人に問題がある、と思っていた。だから、不安は今よりも少なかった。

 今は違う。今は不安だ。
 でも、昔のようになりたいとは思わないみたいだ、僕は。


 今、僕は、自分に対して、「ただやりたいようにだけやればいいんだからさ」と言い聞かせている。劇団の稽古に行ったら、そこで、やりたいようにだけやればいい。とりあえずは、何かしら演技がやりたくて劇団に入ったわけで、それは確実なわけで、そのやりたいことをやりたいようにやれば、僕にとっては100点なのだ。それ以上のことはやる必要がない。

 そこにいる他人からどう思われようがどうでもいいのだ。演出家から何か指摘されても、それに従いたければ従えばいいし、従いたくなければ従わなくていい。演技下手だなと思われても、自分がしたいように演技していさえすれば何の問題もない。ご飯に誘われても全て断っていい。ムカついたら人を殴ってもいい。喚き散らしてもいい。泣き叫んでもいい。人を馬鹿にしてもいい。悪口を言ってもいい。

 それが、前提だ。
 最悪、そういうことをしてもいい。

 ……ここで、「最悪、」と書いてしまうのも良くないかもしれない。「それは最悪なことだ」と言っていることになるから。人を馬鹿にして悪口を言うのは「最悪だ」、ということなってしまうから。
 人を馬鹿にして悪口を言うのは最悪ではない。僕は「普通に」それをやっていいのだ。「当然」やっていいのだ。それをやりたくて、やるしかないのなら、やるのが「正しい」のだ。

 で、結果、他人から嫌われたり、劇団を追い出されたりしても、それは仕方ない。って言うか、劇団なんて他にいくらでもあるわけだし。何の問題もない。

 僕は僕であればいい。
 どこにいても、僕は僕であればいい。
 僕は僕のために生きている。それ以外の生き方をする必要はない。と言うか、することはできない。
 
 その結果、僕が嫌われても仕方ない。僕を嫌うかどうかは他人の決めることだ。僕には関わりがない。



 ……と、言い聞かせてます(笑)。
 そう言い聞かせないとやってられない。胃が痛いんです(笑)。

 人の目を気にし過ぎなんだよな。ほんと。やだやだ。