哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

書く時に②

僕は、僕の書いた文章を読む人が僕の文章を「じっくりと」「好意的に」読んでくれるという想定の上で、文章を書いている。

そのため、僕の文章を「じっくりと」「好意的に」読む気のない読者からすると、「分かりにくい」と思われることが多いようである。

でも、僕には今のところ、「もっと分かりやすく」書こう、という気持ちは生じていない。

おそらく、今はこの書き方(「じっくりと」「好意的に」読む読者を想定して書く)でいいのだろう、という感じがする。
今は、「分かりやすさ」を目指すよりも、他のことを目指す時なのだろう、という感じがする。

今の僕にとって、「分かりやすく」書くことは、「自己犠牲」になってしまう場合が多い気がする。
「分かりやすく」書くことが、「自分のため」「自分の心地よさのため」「自分の充実感のため」にならない。
「他人のため」になってしまう。
「他人」のことは、どうでもいいものである。
だから、「分かりやすく」書く気にならない。

たぶん、「分かりやすく」書くことが、単に「他人のため」ではなくなって、「自分のため」にもなる時が、いつか来るんだろうな、という予感はある(それまでに人生が終わらなければ)。

その時まで、待っていましょう。