哲学、読書、演劇、思ったこと。

谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

コロナ、演劇、葛藤

ある人から「このご時世(コロナ)で、予定通り演劇の公演をすることについてどう思うか」という趣旨のラインが来た。それに対する僕の返信。


ボツにした、最初に書いたもの

僕は、公演を予定通り「する」か「しない」かということ自体にはあまり興味がない。
僕が興味あるのは、「する」「しない」の選択をしたその理由や背景。

例えば、「いま公演をすることは感染拡大や死者の増加を招くから」と本気で感じて、公演をしないことにしたのなら、僕はその人が好き。逆に言うと、公演をしないことにしたとしても、「感染拡大や死者の増加」に対して全く感じていないなら、僕はその人が好きじゃない。公演をすることを選択していても、「感染拡大や死者の増加」を本気で感じながらそれでもやりたいということなら、僕はその人が好き。「感染拡大や死者の増加」を感じずに公演をする人は嫌い。

「感染拡大や死者の増加」というのは一つの具体例にすぎないけど、考えてみると僕は、「感染拡大や死者の増加」自体に特別思い入れがあるわけでもない。「死にたくない」という気持ちは嫌い。生き延びることに固執する人は嫌い。人間を生き延びさせようとする力は嫌い。でも、生に固執する気持ちは普通に分かる。僕だって普通に生き延びたい。それに、「生きたい」「死んでほしくない」などの気持ちにもいろいろあって、たぶん、僕の嫌いなタイプの気持ちも、好きなタイプの気持ちもある。その「好き」「嫌い」も、僕自身の状態によって変わったりもする。いろいろある。とにかくいろいろある。

たぶん、僕は、「葛藤」のある人が好き。いろいろな力の中で「葛藤」している人が好き。相反する方向への力たちに揉まれて混乱している人が好き。なぜかというと、人間において力は常に複数あり、常に相反しており、したがって人間が「素直に」生きるなら、常に葛藤を抱えているはずだと思うから(でも、ただ一つの力しか存在せずそれに従うことしかできない人がもしいるなら、その人は葛藤をしない人であるけれど、理想的には、僕はその人を好きでも嫌いでもない。「理想的には」としたのは、その人に葛藤がない理由が、その人においてただ一つの力しか存在しないからなのか、相反する力がありながらその一部を「遮断」しているからなのかを、判断する力が僕にあるとは限らないから)。

まとめると、僕は、「素直に」-「葛藤」する人が好き。自分という場所において生じるあらゆる力にたいして身体を開「こうとする」人、開いて感じ「ようとする」人が好き。遮断をやめ「ようとする」人が好き(「こうとする」「ようとする」としたのは、「完全に」開いている・感じている・遮断しないでいる状態で「常に」あることは不可能だと思うから)。

……とりあえずこんな感じか。
公演自体の話がどっかにいっちゃったけど。



実際に返信したもの

僕は、公演を予定通り「する」か「しない」かということ自体にはあまり興味がない。
僕が興味あるのは、「する」「しない」の選択をしたその理由や背景。

例えば、「いま公演をすることは感染拡大や死者の増加を招くから」と本気で感じて、公演をしないことにしたのなら、僕はその人が好き。逆に言うと、公演をしないことにしたとしても、「感染拡大や死者の増加」に対して全く感じていないなら、僕はその人が好きじゃない。公演をすることを選択していても、「感染拡大や死者の増加」を本気で感じながらそれでもやりたいということなら、僕はその人が好き。「感染拡大や死者の増加」を感じずに公演をする人は嫌い。

話が飛ぶようにも思えるけど、「自分のことだけを考える」か、「自分も含むあらゆることに対して自分を開こうとする」か、という二つの力を考えてみる。人間という場所にはどちらの方向の力も生じ、人間は常にその二つの力の葛藤状態にある(と僕は思う)。でも、「自分も含むあらゆることに対して自分を開こうとする」方向の力は「遮断」されがちだと思う。僕はそれを「遮断」したくないと思う。
「感染拡大や死者の増加」というのを出したのは、「感染拡大や死者の増加」に対して具体的に何かを感じるということが、「自分を含むあらゆることに対して自分を開こうとする」ことのひとつの表れ方だと思うから。

たぶん、僕は、「葛藤」のある人が好き。二つの力において「葛藤」している人が好き。相反する方向への力に揉まれて混乱している人が好き。人間においては常に上記の二つの力が相反して働いており、したがって、人間が「素直に」生きるなら常に葛藤を抱えているはずだ、と思うから(しかし、仮に、一つの力しか存在せずそれに従うことしかできない人がいるとするなら、その人は葛藤しない人ではあるけれど、僕はその人が嫌いではない)。

まとめると、僕は、「素直に」-「葛藤」する人が好き。自分という場所において生じるあらゆる力に対して身体を開「こうとする」人、開いて感じ「ようとする」人が好き。あらゆる遮断をやめ「ようとする」人が好き(「~うとする」としたのは、「完全に」それができている状態で「常に」あることは不可能だと思うから)。

……とりあえずこんな感じか。
公演自体の話はどっかにいっちゃったけど。