僕は、隠し事をするのが苦手だ。何でもかんでも話してしまう。秘密を持っていたくない。
隠し事をするということは、自分でそれを背負う、ということを含んでいる。
隠さずに全てを話すことは、楽だ。自分一人で何も背負わなくていい。全てを共有し、共同した力でそれを背負う。
恋人がいるのに恋人ではない人とキスをしてしまった、とする。僕なら誰かに話したくなる。恋人本人にさえも、話したくなる。恋人本人には話せなくても、口の堅いと思われる友人には、おそらく話してしまう。話さないと辛いからだ。話さないと重いからだ。重みに耐えられない。楽になりたい。
隠し事をする人というのがいる。そういう人は、ある意味、強いと思う。強いことが良いことなのかはさしあたり不問にするとして、とにかく、強いと思う。
スイートリトルライズ、という江國香織原作の映画を観ていたら、「人は守りたいものに嘘をつくの」というセリフが出てきた。
「人は守りたいものに嘘をつくの。あるいは守ろうとするものに。」
守りたいものに嘘をつく。
守りたいから嘘をつく。
守らなくてもいいと思うものには嘘をつかない。本当のことを言う。
守りたいから、強くあろうとする。
嘘をつくのには強さがいる。
隠すのには強さがいる。
僕も、強くあることができた方がいいのだろうか、と思った。僕も嘘をつけるようになった方がいいのだろうか。
……
守る、と言っていた。その映画では。
守ること……
ある人に訊かれたことがある。
「守りたい?」、と。
ある子供について話していた時だ。その子供のことを守りたいか、と。
僕は、「守りたいとは思わない」と答えた。
そして、「でも、大事にしたいとは思う」と続けた。
「守る」と「大事にする」の違い。
僕のその時のイメージを言語化してみる。
「守る」は、その子供に危険が及ばないように「常に」そばにいる、というイメージ。どんな時でも常にすぐそばにいる。
「大事にする」は、子供が困って助けを求めた時にはいつでも手助けする、というイメージ。すぐそばにはいないけど、わりと近くにはいて、求められればいつでも助ける。
「守る」のでは過保護すぎる、と思ったのだ。だから、「大事にする」と僕は言った。
その時はそこまでは説明しなかったので、「守りたい?」と僕に訊いたその人は、僕の答えをいま僕が書いたように理解してはいないだろう。
また、その人が、「守る」という言葉をどんな意味で使っていたのかは分からない。
……
スイートリトルライズにおける「守る」という言葉は、もちろん、僕がいま説明した意味とは違う意味で使われていた。
でもやはり、僕には、「守る」という言葉に対する少なからぬ拒否感がある。
でも……
でも、一つも隠し事を持てない、というのは、どうなんだろう……とも思う。
隠し事の放棄。
「守る」ことの放棄。
強さの放棄。
あるいは、個人主義。
ここでの「守る」とは、「他人を」守ることだ。だから、その放棄はある意味で「他人の放棄」であり、それゆえある意味で個人主義と言える。あるいは自分主義。
だから、隠し事をすること、嘘をつくこと、それは、他人と自分とを繋げる、ということなのだ。
……
いまは、僕には、「暴力」に思えてしまう。「守る」ということが。
「守る」ことは「暴力」だから「よくない」、と思ってしまう。
「守る」のはやり過ぎだ、過保護すぎだ、一人の人間に与えられるべき領域が不当に侵されてしまっている、と感じる。
でも、「守りたい」と思う人の気持ちを分かりたい、とも思う。だって、少なくとも、あの映画の中での中谷美紀は本気だった。
……
もう少し時間をかけて考え続けることにする。