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谷翔です。読書メモ以外はnoteで書くことにした→https://note.com/syosyotanisho10

「依存先を増やせ」?

 「依存をやめるには、依存先を増やすといい」ということを、最近、複数の人に言われた。
 また、同じことを、著名な作家や専門家が言っているのを何度も聞いたことがある。

 でも、僕にはまだ、ピンとこない。

 ある人にはこう言われた。
「ホームを持っていない人は依存性が高いのではないか」。
(「ホーム」とは、いざという時に頼れるところ。ただ、「いざという時」を「実際に」経験した時、その「ホーム」に「実際に」頼るかというと、それは別の問題である(とその人は言っていた)。
 「ホームがある」というのは、いざという時に頼れるところがある「と思えている」ということなのだ。「と思えている」ということが重要で、実際にあるのかとか、実際に頼るのかとか、そういうことはまた別の問題である。
 言い換えるなら、「絶対的な安心感」。つまり、絶対的な安心「感」。)

 「ホーム」というと、なんとなく、それは「一つ」であるようなイメージがある。「複数の依存先を持つこと」と「ホームを持つこと」とは、矛盾まではしないのかもしれない(「ホーム」が一つあり、「ホームとまでは言えないが依存できるところ」がいくつかある、というのは考えうる)が、方向性が違うように思える。

 また別のある人に悩みを相談しようとした時、「谷くんにとって私は気休めだ」と言われたあと、こう言われた。
「これからは、谷くんのことを本当に心配して味方してくれる人を見つけて話したほうがいいと思う」。
 これもどちらかというと、「ホーム」の考え方に近いように思う。ただ、「本当に心配して味方してくれる人」が「複数」いるという状態は考えられうるが。

……

 依存度の高低、というのを僕は考える。

 「依存先を増やす」「複数の依存先を持つ」といった手法は、依存度の「低い」依存先を複数持つ、というニュアンスがある。その人が持つ依存の全体量といったものが想定され、それを、複数の場所に「分散」させようというわけである。ある特定の場所に依存度を集中させると依存度が「高く」なってしまう。それを防ごうということである。

 これは、依存を単純で無機質な「量」として捉えた場合である。

 でも、「量」ではないのかもしれない。
 「一つ」か「複数」か、というのは、「量」の問題ではなく、「質」の問題なのだろうか。一つの場所に依存している時と、複数の場所に依存している時とでは、依存の「質」が異なるのだろうか。
 たしかに、一つの場所に依存している時には、「ここしかない」「ここがなくなったらどうしよう」という、「不安」に取り憑かれやすい気がする。「複数」の依存先を持っているなら、その「不安」は弱まる。

 ……が、「弱まるだけ」である、と僕は思ってしまう。本質的には同じだ。同じ「不安」を抱え続ける。「1」だろうが「100」だろうが、依存先の数が「有限」であるならば、依存先が無くなる「不安」はいつまでも残り続ける。

……

 そう考えると、「依存先を増やせ」という言葉が本当に意味しているのは、1を100にしろということではなく、「いつでもどこにでも誰にでも頼っていいんだ」と「思え」ということのような気が、僕はしてくる。
 いつでもどこにでも誰にでも。
 もちろん、頼ろうとしたら拒否される、ということはあるだろう。
 でも、「必ず」頼らせてくれる人はどこかにはいる、と「思え」。

 そして、それは、「思い込み」ではなく、「事実」なのである。
 私が困ったときには必ず助けてくれる人がいる、というのは、単純な「事実」なのである。

 私が他者を拒否さえしなければ、必ず誰かが助けてくれる。

 その「事実」に「気づけ」。

 「依存先を増やせ」という言葉が言いたいのは、最終的には、そういうことなのではないか、と僕は思う。
 もちろん、まずは1を10とか100にすることで依存を「分散」させるという「過程を経る」ことは有効なのかもしれない、とは思う。しかし、それが有限数である限り不安は消えないとしたら、本質的には1でも10でも100でも同じだ。
 だから、「いつでもどこにでも誰にでも」という、依存先のある種の「無限」を、「事実」として「気づく」必要があるのではないか。

 そして、「無限の依存先がある」、「世界全体が私の依存先である」といった感覚が、「ホーム」を持つという感覚と、かなりの程度で重なるのではないか、と思う。「無限の依存先がある」というのは、「絶対的な安心感」と近いのではないか、と思う。

……

 と、ここまで書いてきて、思う。
 「不安」は全部なくした方がいいの?
 「絶対的に安心」した方がいいの?

……

 「絶対的な安心感」って、なに?
 「ホーム」って、なに?

……

 こう思うのは、僕の不安が強いからなのだろうか。僕が不安の中でしか生きてこなかったからなのだろうか。不安の中で生きることに慣れすぎて、安心しているということが想像できないということなのだろうか。慣れた環境から出ていくのが怖い、ということなのだろうか。

……

「これからは、谷くんのことを本当に心配して味方してくれる人を見つけて話したほうがいいと思う」。
 これってどういう意味なんだろう。
 今まで、僕にはこういう人がいなかったのだろうか。「谷くんのことを本当に心配して味方してくれる人」って、なんなんだろう。

……

 今のところ、全然分からない。
 ここまでいろいろ書いてきたけど、特にどれもしっくりきてはいない。

 そもそも、不安が「ある」状態と不安が「ない」状態を対立させている、あるいは、「絶対的でない」安心と「絶対的な」安心を対立させている、この僕の問題設定の仕方が悪い気もする。
 「不安はあるけれど絶対的な安心もある」みたいな状態があるような気もする。

……

 でも(?)、とりあえず、いま、僕は働こうとしている。今までアルバイトしかしてこなかったけど、正社員で働こうとしている。
 今度、介護系の正社員の面接がある。

 「働こうとしている」ということが、僕にとって何なのかは、今のところまだ分からない。もちろん、なにか突破口になりそうな予感があるからここに書いてもいるのだが、でも、具体的には何も分からない。